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思考する版画

野谷文昭

ブエノスアイレスで星野美智子の版画に出会ったのは1998年11月だった。 この都市が生んだ詩人で作家のボルヘスについて取材するために、アンチョレーナ街にある財団を訪ねると、2階の壁に大きなリトグラフ版画が掛かっていた。 故ボルヘスの影を感じさせる周囲の雰囲気にあまりにマッチしているので、作者はさぞかしその文学に通じているにちがいないと思わせるそれは、1987年制作の《ボルヘス・スフィンクス》(no.245)だった。 世界に知られた文豪の横顔がピラミッドと思われる三角形を挟むように左右対称に配されている。 片方は鏡像だろうか。 二人のボルヘス。 彼に「ボルヘスと私」という作品があることを思い出す。 一人の人物の実像と虚像の関係を考察したエッセー風短編だ。

版画はおそらく短編にも窺えるボルヘス好みの同一性というテーマに触発されたのだろう。 だがなぜスフィンクスなのか。 スフィンクスはその前を通り掛かる者に謎を掛けたことで知られる。 だとすれば、ボルヘス・スフィンクスとは読者に謎を掛ける作家であり、さらにそれは見る者に謎を掛ける版画の作者と重なり合う。 つまりボルヘスと版画の作者はいずれもスフィンクスなのだ。 そんな具合に、手の込んだ仕掛けが知的想像力を強く刺激する。 そして何より惹きつけられるのは、そこに広がるきわめてリアルな幻想的世界である。 現代と古代がつながり、重層的時間が視覚化されている。 ありえないことが版画によって視覚化され、幻想を、それも知的幻想をもたらす。 そしてそのとき私たちは、作者の意識の奥底を覗き、そこで生じているイメージの劇場を眺めていることに気付く。 そのとき版画は全宇宙を包摂するというボルヘスの小球体アレフとなる。

ボルヘスは、彼が探偵小説の創始者と見なしているポーの考え方を、こんな風にパラフレーズしている。 探偵小説は写実的であってはならず、知的なあるいは幻想的なジャンルでなければならない。 その幻想性は単に想像力の産物であるばかりでなく、知的なものでもなければならない。 これを版画に置き換えれば、まさに知的虚構の世界を描き続ける星野の作風を言い当てた言葉と言えないだろうか。 星野の作品は知的なのだ。 そしてわれわれ見る側は、全体を眺めたのちに探偵となって、彼女の描くワンダーランドに入り込み、謎解きを開始するのである。

後で知るのだが、この《ボルヘス・スフインクス》には肖像写真をあしらうという、彼女のキャリアの中では進化した技法が使われている。 人物の顔のモチーフは1980年の《落下する刻》(no.145-156)に見られる歴史学者の顔が前触れとなり、1984年の《盲たる詩人の為に》(no.214)でボルヘスらしき人物の顔が現れ、翌年制作の《バベルの図書館-詩人の薔薇》(no.224)で初めてボルヘスの横顔の写真が使われている。


星野美智子の作品を、作者を意識せずに見たのは、ボルヘスの短編集『砂の本』に添えられたものが最初かもしれない。 彼女は1980年に日本語版『砂の本』所収の短編のために版画を制作している。 《為:会議》(no.161)と《為:砂の本》(no.162)と題された2点がそれで、いずれも短編に霊感を受けて制作された作品のいわばレプリカとして付録の形で訳書に挿入されている。 編集者の意図によるのか、版画の裏には「世界の最初の瞬間と同時にはじまって、われわれが塵に帰ったときもなお続いてゆく会議。――それが存在しない場所などはない」という一節が引用されている。 たしかに、この一節に見られる無限というテーマと会議の場としての円卓と椅子のイメージの組み合わせが、版画のモチーフになっているようだ。星野によれば、円卓は、「拡大する円の中心にいるような、無限に大きくなりつつ遠ざかる、不可能でフィクショナルな世界」として描かれているという。 しかしそのイメージは、ボルヘスを触媒としてはいるが作者の奔放な想像力から生まれたものであり、たちまち短編を離れ自由に羽ばたき始める。 だから短編を知らなければ、いや知っていても、見る者はそこに描かれた謎めいたイメージに目を釘付けにされる一方で、推理力や想像力を働かせずにはいられない。 またこの短編には、「会議とは、わしらがたったいま燃やした本だ」とか「数世紀ごとに、アレキサンドリアの図書館は炎上しなくてはならないのだ」といったくだりがある。 本、図書館、炎上、有限と無限、それらの要素に星野が敏感に反応したであろうことを、後に制作される作品は明らかにしている。

ところで、版画のタイトルにある「砂の本」とは何を指すのか。 短編ではそれは布製の八つ折版で、「砂とおなじくはじめもなければ終りもない」本とされているが、版画はそれをそのまま描こうとしているわけではない。 ことによると短編集全体から得られるイメージを表現しているのかもしれないが定かではない。 にもかかわらず、それはこの短編集にふさわしいと思える。 あるいは巻頭を飾る《砂漠の河-エル・アレフ》(no.127)は前年に制作されていて、タイトルから分かるように本来『砂の本』とは直接関係はないはずなのに、そこに置かれても違和感がない。 しばしば読者を裏切る挿画とは異なり、まさにボルヘス的世界を表象しているように見えるのである。 地球あるいは別の惑星の砂漠を思わせる乾いた風景は彼女特有のものだが、これが感傷性を排したボルヘスのロジック的世界にぴったりなのである。

版画「砂の本」には、たとえば2005年制作の同名の作品があり、そこに描かれた本のほうがはるかに書物らしい形象を備えている。 バウムクーヘンのような頁の重なりと褶曲。 だがこれにしても「はじめもなければ終りもない」本であるという保証はない。 というのもそこにあるのは版画家による自由な解釈、いわば翻案だからである。 それは非在の書物であり、ある具体的な事物をなぞるように描くのではなく、ボルヘスの世界のエッセンスを自らの裡に見出し、それを組み換えることによってできあがったものだ。 だから星野の版画にはいくつものイメージの重なりという重層性と強度が備わっているのである。 そしてモノクロームで刷られたリトグラフ作品のリアルさは、具象では表現できない形而上学的世界を鮮やかに視覚化している。 前述の違和感のなさの原因はこのあたりにあるのだろう。 ボルヘス生誕100年に因んだ巡回展に偶然メキシコで出くわしたときに、そう思ったことを覚えている。

その巡回展はボルヘス財団によって企画され、バルセロナを振り出しに世界を回り、残念ながら実現しなかったが日本で終ることになっていた。 私が見たのはルフィーノ・タマヨ現代美術館に展示されていたボルヘスの遺品を中心とするコレクションで、そこにはボルヘスに触発された絵画も含まれていた。 だが、異彩を放っていたのは星野美智子の版画である。 ある種の挿話に回収されることがないそれは、まさにイメージの重なりによる重層性と強度によってボルヘスの宇宙の総体を表現しえていた。 日本の外に出ても、彼女の作品の存在感は際立っている。 それは普遍性を備えていることの証である。

しかし、何よりも驚かされるのは、星野美智子が、ボルヘスの作品に出会う前からこうした形而上学的テーマを追求し、抽象的油絵からモノクロームの象徴的リトグラフに転じていたことである。 モノクロームにしたことで特定の色彩に囚われなくなったため、むしろ見るものは視覚的に刺激され、自由に想像することができる。 このもっとも単純だがもっとも豊かな色彩ともなるモノクロームをリトグラフに用いること自体ひとつの実験だが、星野の作品ではそれが見事に成功している。 作品集を時系列に沿って眺めると確認できるのだが、自ら「ボルヘス・シリーズ」と呼ぶ作品群にスムーズに移行できたのはそうしたことの結果と言えるだろう。 1971年制作の作品では事物が空間を浮遊し、あたかも神経が露出した脳内世界を思わせる。 その脳は白日夢を見ていて、1974年の《夢の中の覚醒》(no.53)につながっている。 注目すべきは1972年から1974年にかけて早くも〈記憶の形式〉〈時の形式〉〈場の形式〉というシリーズを制作していることだ。 ここですでに彼女独自の形而上学的世界つまり脳内世界が形作られているからである。 これがボルヘスというやはり脳内世界を言葉で表現した特異な作家の文学作品と出会うことによって、あらたな段階を迎えるのである。

「ボルヘス・シリーズ」の軌跡は1975年に始まる。 すでに記憶をテーマとする作品を手掛けていた星野がボルヘスの短編「記憶の人、フネス」の邦訳を読み、そこに見られる「記憶の設定に衝撃を受ける」のだ。 こうして作者自ら「フネスの記憶」シリーズと呼ぶ一連の作品が生まれることになる。 さらに翌年からは「エル・アレフ」シリーズの制作が開始されている。 ちなみに当時彼女が読んだのは篠田一士訳だそうである。またこのころ〈比喩としての鏡〉シリーズの制作が始まっている。 それは「人間の無限の知の集積」を可視化するために鏡という場を設定したもので、「鏡に映し出された沈黙の薔薇である絵画―目に見えない薔薇」を描き出すことは、空想の中の影、イメージの表現であると星野は解説する。 この薔薇というのも彼女の好むモチーフであり、1975年制作の《夢の中の花》(no.69)はそれを用いた典型的な作品だが、一方でこのタイトルはボルヘスのエッセー「コウルリッジの花」を意識しているようでもある。 夢の中で授けられた花がもしも目覚めたときに実際に手の中にあったらという、夢と現実を架橋するものとしての花について触れたコウルリッジの一節をボルヘスが引用しているのだが、彼女はこの花を薔薇と解釈し、それに触発された自分の意識をイメージ化しているのだろう。 だがボルヘスはさらに、花を手渡すという行為に長い伝統を読み取り、そこに永続、無限という概念を見出している。 とすれば星野もそこまで踏まえているのではないか。 どうやらボルヘスに触発されると彼女の中の思考機械が動き出すようだ。 版画という鏡が映すのはイメージだが、それは彼女の思考を反映したものでもある。 したがって彼女の版画は思考する版画なのである。

〈比喩としての鏡〉シリーズの後もボルヘスの作品に触発された版画の制作は間断なく続き、見るものを圧倒する〈バベルの図書館〉シリーズのような代表作を生んでいる。 また1986年にボルヘスが亡くなったのを機に、ボルヘス自身をテーマとする作品を手掛けるようになる。 《ボルヘス・スフィンクス》はその一つだったのだ。 この作品を含め、1989年には「ボルヘス追悼展」という形で、それまでの「ボルヘス・シリーズ」の総集編とも言うべき大規模な個展を開いている。 このあたりから作者としてのボルヘスにも関心を抱くようになり、それがきっかけで1990年に初めてブエノスアイレスを訪れる。 その折に夫人のマリア・コダマを知り、彼女の仲立ちにより個展を開く。 こうしてボルヘスの都市に日本の版画家の存在が知られるようになるのだ。

ブエノスアイレス訪問後のシリーズの一つ「ボルヘスの国を尋ねて-ボルヘスの図書館」(1992年)にはボルヘスが館長を務めた旧国立図書館の書架とともにマテとボンビージャ(マテ茶用の器と金属製のストロー)のようなアルゼンチン的事物が散見される。 だが〈時間の鏡〉(1997年~)、〈ボルヘスの庭園〉(1998年~)、〈円環の廃墟〉(2002年~)などでは彼女本来の基本的メタファとなるモチーフが復活し、独特の重層的イメージからなる世界を創造している。 とはいえ彼女は決して保守的アーチストではない。 点数こそ少ないが彫刻を手掛けているし、コンピューター・グラフィックやウォーターレス・リトグラフに取り組むというように、新しいことに果敢に挑戦しているからだ。 振り返ってみれば、油絵からリトグラフに転向したこと自体大きな挑戦だったのである。


本稿を執筆するに当たり、西荻窪にある彼女のアトリエを再訪した。 それは画室ではなく工房という訳語がふさわしい場所である。 巨大な石版プレス機があり、そこで目に留まったのは古いプレス機の歯車である。 聞けばこの旧プレス機の電動化は機械に強い夫君が手掛けたという。 新旧の機械は複数の時間を感じさせる。 それは星野美智子の版画が含む時間でもある。 ただし彼女の時間は現実にはどこにもない。 ただ版画の中だけにある観念的時間である。 ボルヘスの時間が彼の作品の中だけにあるように。 それは歴史や現実に侵食されない彼らの脳内時間であり、彼女はその他の観念とともにそれをイメージ化し続けているのである。

(東京大学大学院教授・ラテンアメリカ文学者・ボルヘス会会長)