Japanese | English

星野美智子「記憶」の攪乱・変容・循環

小勝禮子

リトグラフの墨の濃淡を自在に操りながら、人間の脳の深層に奥深く分け入ったような、複雑にして壮麗なイメージを可視化する星野美智子氏の版画世界に私が初めて触れ得たのは、栃木県立美術館で開催した「本の宇宙・詩想をはこぶ容器」展のための出品依頼の折だったと思う。 今から15年近くも前の1992年のことと記憶する。 その時もお邪魔した武蔵野の閑静な住宅街にある美しい木造壁の洋館の、使い込まれたリト・プレス機が大きく場を占めている2階まで吹き抜けになった天井の高い仕事場に今回再び足を運び、星野氏がこれまで制作して来た500点を越える夥しいリトグラフが時系列に添って整然と納められたファイルを紐解き、その全作品を見ることができたのはまたとない至福の体験だったと言えよう。 それを1冊の書物として実現させる星野氏の全版画作品集の出版を喜ぶとともに、その豊穣な芸術の全容の解明は到底私の筆の及ぶところではないが、一端なりと紹介させていただきたいと思う。

星野氏の版画と言えば、アルゼンチンの大作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスとの密接な関係を思い起こさないわけには行かない。 実際、星野氏の版画のタイトルには、「記憶の人フネス」や「ボルヘスの鏡」「エル・アレフ」「バベルの図書館」「砂の本」など、ボルヘスの文学から直接取られたものが頻出し、星野氏自身ボルヘスからインスピレーションを汲み出したことを語っている。 しかし「ボルヘス以前」の初期作品にも、既にきわめてオリジナルなイメージが見て取れるのである。

星野氏が石版画の制作を始めたのは1971年であり、1976年の《フネスの鏡》(no.91-93)からボルヘス・シリーズに着手する以前に、「場の形式」「記憶の形式」「時の形式」という3つの形式を柱にした制作を既に行っていた。 それは、人間の精神の構造を解析し、イメージとして構築し直すような作業であり、リトグラフという版画技法によって、黒の濃淡からなる面的で混沌とした「場」を出現させ、背景となる場の自在な変容の中に、シンボルとなるイメージを容易に転写し得たことで実現されたものであろう。

まさに第1作《場の形式―Female Space》(no.1)は、リトの墨の滲みが作る空間―場に、整然と直線的に折られた白い紙と皺の寄った三角形が対称的に置かれた作品だが、これがFemale Spaceと題されていることに、私のフェミニストの部分が反応する。 これは女性の居場所だろうか。 当時30代の若い星野氏が、夫の転勤先の倉敷で、知人のプレス機を借りて初めてリトグラフを試した時の瑞々しい息遣いが伝わって来る。

ここで初期作品をたどる前に、星野氏が美術家になるまでの形成期を簡単にたどっておこう。 1934年枚田(ひらた)美智子として東京都杉並区の現住所に生まれ、内務省官吏の父の転勤にしたがって全国を転校して回った少女時代に、疎開先で終戦を迎えることとなったが、終戦後の中学入学時から東京に戻り、杉並に住んで現在に至っている。 絵と文学書に耽溺していた女学生時代を経て、戦後、男女共学となった元男子高校の都立新宿高校に紅2点の女子学生として友人とともに編入学。 同じ公立の教育課程でも、旧制高等女学校と旧制男子中学の教育内容には大きな格差があったことを実感し、男子学生たちの将来の職業を真剣に考えた勉強ぶりにも触発されて、画家になる希望は胸にしまい、母親の希望した東京女子大学の英文科に進む。 評判を聞いていた学生新聞部に入って優れた女性の先輩たちに会い、全学新(全日本学生新聞連盟)の学生運動にも関わった。 そしてもっと社会の構造を理解しなければと思い、3年から社会学科に転科。 卒業後も一橋大学聴講生課程の単位を取ったりして勉学を続けていた。 しかし画家志望が止み難く、東京芸術大学油画科に入学し直す。 24歳の時で、同級生よりも数歳年長のお姉さんだったという。 同級生には銅版画家になる中林忠良(1937~)、木版画家の野田哲也(1940~)、助手には小作青史(1936~)がいた。 1960年代に活躍してニューヨークに渡った銅版画家、白井昭子(1935~2001)は既に油画科を卒業していたが、親しい先輩で、この頃駒井哲郎が芸大で開催した銅版画講習会に参加している。

星野は1963年の卒業後すぐに結婚し翌年長男が生まれるが、油彩の制作を続け、1965年銀芳堂画廊で油彩の初個展を開催。 その後もシロタ画廊で油彩の個展を2回開催するが、1969年、エンジニアの夫の転勤にともなって岡山県倉敷市水島に移り、印刷工場から払い下げられた手回し式の古いリト・プレス機を持っていた倉敷在住の美術家、三宅幹一郎と知り合う。 自宅で製版までを終えた版を持参して刷らせてもらうことによって、ここで初めてリトグラフを制作することになるのである。

芸大時代に銅版画とリトグラフの講座を受けたとはいえ、実技の経験はほとんどなく、ベテランの印刷工であった職人に質問しながらの制作だったという。 ほぼ独学でリトグラフの技法を実地に身につけた体験は、石版画家星野美智子のその後の制作姿勢を支える基盤となった。 20年近く愛用したジンク版が公害を引き起こすために製造中止になって、1989年からアルミ版に転換しなければならなくなったが、これをジンク版に遜色ない表現が出来るところまで進め、また1995年には、ウォーターレスという、描画しない部分に水を使わずにシリコンでマスキングする新技法をイギリスの版画雑誌で発見すると、97年にカナダの大学で教える考案者ニック・スメノフ氏を訪ねて直接研修を受け、2003年から制作の中心をそちらに移す。 果敢に新しい技法を学び、自分に合うものを吸収して表現の幅を拡げ、次々と転換を遂げる積極性と熱心な技法研究が、星野のバロック的に構築された壮麗な画面を支えていることを忘れてはならない。

また戦後、女性の美術家が増えたとは言え、2人の子供を育てる家庭生活と平行しての作家活動は、女性への軽視が残存する日本社会、美術界を思えば、社会と家庭の両面で多くの苦労の積み重ねがあったことも推察される。 星野はそれらの多くを語らないが、19歳で実母を亡くしているため、子育てを助けてくれる人もなしにいっさいを一人で抱える他なかった家事・育児の役割は、社会変革を目指して格闘した自由な青春を過して来ただけに強いプレッシャーであったという。 しかし「ウーマン・リブを主張し平等を要求するのは簡単だが、対等と認められるようになることは難しいということに気づいて、自分が一番好きで才能に自信のあった絵画を本業にしようと決心した」と語る星野は、自分は主婦ではなく画家であるという自負に支えられて、家族が寝静まった深夜の制作もいとわなかったという。 女性の社会人登山グループ、エーデルワイス・クラブの創立期から参加し、10年間の技術研究部で鍛えた気力と体力にも自信があった。 60年安保に重なる芸大時代へと続く20代は、常識的に育てられた自分の価値観を一度崩壊させて、借り物ではない思考や表現を探索し、価値観を再構築した大切な期間であった。 美術家としてその原体験を反芻しながら、社会の事象そのものではなく人間の内なる世界に心を開いて、制作に打ち込む精神的な基盤を築いたと、今は静かに語る。

再び作品に戻ろう。 「場の形式」のシリーズで、星野はリトの墨がつくる混沌とした濃淡による漏斗のような形やたわんだ矩形など、シャープで自在なかたちをした「場」を白い紙の上に出現させ《場の形式―夜間飛行!》(no.28)、小さい人間や薔薇、貝殻などがその空間に巻き込まれ、宙を舞うさまを描いた。 「時の形式」では時間の要素が加わり、「記憶の形式」は人間の深層心理のような要素がより深く追求されているように見える。 そして「場」と「時」と「記憶」、こうした星野のテーマはまさにボルヘスの文学と共通するものであることに気づく。 星野が初めて関心を持って読んだボルヘスの短編は、「記憶の人フネス」だったという。 ここで大切なのは、ボルヘスから発想して星野のテーマが作られたのではなく、星野が美術家としての出発の時から追求していた「場」「時」「記憶」の形象に、その途上でのボルヘス文学との出会いがさらに豊かな混沌と論理的な構築を同時にもたらしたことだろう。 1975年の《比喩としての鏡―真空のモニュマン》(no.74)が、タイトルでボルヘスに直接言及した最初の作品であった。 さらに同年の《夜の視覚》(no.76)、《薔薇の爪 !》(no.75)、《Tulip-Blossom》(no.78)は、ボルヘス・シリーズに入る直前の、それまでの星野が追求した「場」「時」「記憶」のシリーズの成果が結実した、伸びやかな曲線によって大胆に形づくられた黒によるグラマラスな官能性が際立つ作品と言えよう。

翌1976年には、真正面から「フネス」をタイトルにした作品シリーズが開始される。 なかでも《フネスの神殿》(no.99)、は、見たものを瞬間毎に無限に記憶し続ける男フネスが作り上げる「記憶の神殿」の、「狂気」めいた混沌の無秩序と構築のせめぎあいを彷彿させる緊張感に満ちた画面である。 その後もシリーズで《ボルヘスの鏡》(1978年 no.112-117)、《落下する刻》(1979年 no.145-156)、《バベルの図書館》(1985年 no.224-237)などが制作された。 また「フネス」の制作を始めた頃、日本に初めてボルヘスを翻訳紹介した篠田一士に星野から直接電話で質問したことをきっかけにして交友が始まり、篠田の訳したボルヘスの『砂の本』(集英社、1980年刊)のために、星野の版画《砂漠の河―エル・アレフ》(no.127)、《為:会議》(no.161)《為:砂の本》(no.162)の3点が掲載されたことは、ボルヘス愛好者・文学者の間に、卓抜なボルヘス・イメージを創り出す版画家、星野美智子の存在を、深く印象づけたことだろう。

鮮やかな色彩表現が容易で、リトグラフといえばカラーが当たり前だった版画市場で、星野が敢えて黒と白の明暗の世界を選び、現在に至るまでモノクロームに固執し続ける理由は、画面の表面にではなくその奥に内在するものへの思索を誘う黒の瞑想性が、星野の志向する表現に合致したためであろう。 マットで質感のないリトグラフの象徴的な黒以外にはあり得ないという、技法と表現の幸福な一体感を、星野はリトグラフを始めた当初から着実につかんでいたのである。

技法面から言えば、《バベルの図書館》シリーズで初めて写真転写を使って、壊れた本という実体を写したのをはじめ、ボルヘスの肖像などを効果的に画面の一部に転写したり、1999年からはCGによるデジタルプリントの作品まで躊躇なく取り組んでいる。 ジンク版からアルミ版への移行に際しては、版が壊れやすいが複雑な調子ができるジンクとは異なり、版は壊れにくい代わりに変化をさせにくいアルミの性質を克服するために当初は苦労したと言う。 コピーのトナーを解墨として利用して繊細な諧調を出すことを知り、従来の技法をアルミの上でも成功させようと工夫を重ねた。 アルミ版によるリトグラフ第一作の《吸引する鏡―本》(1989年 no.260)を見れば、開かれた本の頁がめらめらと燃え上がるようなイメージが、繊細な黒の濃淡によって創り出されていることに感嘆するだろう。 燃え出すと書いたが、その焔は本の内側に向かって吸い込まれていくようでもある。 本の内に広がる無限の闇が炎上し尽くされるような途方もない連想に誘われ、あるいはまた次の一節を思わせる。 「だが、無限の本を燃やせば、同じく無限の火となり、地球を煙で窒息させるのではないかと惧れた」(ボルヘス『砂の本』、篠田一士訳)。

「鏡」「時間」「図書館」「本」「砂」「記憶」「薔薇」「庭園」「迷宮」―1990年代の星野美智子の煌びやかな版画群は、これらの言葉が喚起するものを巡って円環を描くように展開する。 2002年のシリーズ《円環の廃墟》(これもボルヘスの短編のタイトルである no.444-459)では、稠密な描写による現世の実体―図書館、建築などが、繊細に渦を巻きながらうねる奔流の中に浸され、侵食されるさまが繰り返し描かれるようになる。 何より圧倒的なのは、逆巻き、迸り、溢れ出る急激な水の流れであり、その意思を持った生き物のような躍動感である。 人間の英知の結晶である図書館や西洋文明の象徴である神殿は、水という野生のエネルギーの下にほしいままに蹂躙され、浸潤されてしまう。 《円環の廃墟―ボルヘスの図書館》(no.448)の大画面(64.5×88.0cm)を眺めていると、しかし心に溢れて来るのは、何という気持ちのよさだろうか。 権威あるもの、立派なものを台無しにすることへの、言わば破壊のエネルギーへの共感も確かに人間の内にあるものだろう。 ボルヘスの言葉を借りれば、「破壊には、ある種の不思議な悦びがある」(『会議』、篠田一士訳)のだろう。 それに加えて制御を失った水という自然の力への畏怖の感覚にも、知らないうちに魅了されていることに気づかされる。

さらに近年使い慣れてきたウォーターレス技法では、アルミ版の上に水性の画材で描くことができるため、それまでの油性の画材よりもシャープな線が精密に刷れるという特性が活かされて、2003年から現在に至る新シリーズ《鏡の中》では、星野美智子の放った水は、より自在に、より艶やかな表情を見せながら画面の中に流れている。 そして《鏡の中の鏡》(no.474)《鏡の中―鎖された砂の時間》(no.477)などに見る水の流れは、前のようにすべてを押し流す急激な奔流ではなく、いっさいが球体の「鏡の中」(あるいは球体を二つ重ねた砂時計)をめぐって、たゆたい、還流する水になっている。 それはボルヘスのエル・アレフ―宇宙空間を閉じ込めた光り輝く小さい球体を連想させもしよう。

こうした水の変容は、かたちを変えながらも残存し、夢の中に現れる「記憶」の執拗さ、脈絡のなさに繋がるのだろうか。 星野美智子の版画に向かうとき、私は幻惑され、眩暈のする感覚を覚えながら、今、現実に世界で起こっている戦争や虐殺、他者を排除し、消滅させようとする理不尽な人間の暴力性に思いを馳せる。 西洋文明が一元的に世界を支配した時代が終わり、東欧や中東、アジア、アフリカのさまざまな地域の異なる民族や宗教の価値観が噴出する世界。そうした多文化主義やグローバリズムの流れに対抗し、ナショナリズムを強化する旧勢力。

むろん星野の版画は直接、そうした現実世界の変動や闘争に言及されたものではなく、日常生活を超越した高踏性を特色とする。 見る者によっていかようにも解釈でき、鑑賞できるものだろう。その意味で作品に対峙するときは、あなたは今どんな社会に生きているのか、どのような価値観を持っているのかを突きつけられているとも言えよう。 優れた芸術は多様な読みを内包する。 星野の創り出す豊穣なイメージの奔流による「記憶」の変容と循環のダイナミズムに立ち会いながら、世界の崩壊にただ絶望するのではなく、破壊の後に来る再生への希望を育むのも、また許されるのではなかろうか。

(栃木県立美術館特別研究員)