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宇宙的生命・神秘の光:
星野美智子の近作

D・F・コールマン

アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、たとえば『伝奇集』のような著作において、想像力がすべてに優先することを生き生きと描きかつ実証してみせている。 星野美智子氏は優れた版画家であるが、その神韻縹渺(しんいんひょうびょう)たるリトグラフは、ボルヘスという、世界中で20世紀の読者を魅了しつくす一群の魔術的な物語を語ることに傾注した作家の、流動する創造的活力と、みごとに呼応している。

星野氏の版画は、宇宙的なボルヘス世界の探索に捧げられた芸術の輝かしい実例である。 ボルヘスの世界は、複雑に入り混じる現実的要素と創造的要素と象徴的要素とを、調和あるかたちで融合している。 多重的・同時的な視覚像であると同時に、織地と文様の混成体であるものを、様式上の斬新な技法を用いて観る者に差し出している星野氏の抽象版画は、詩的な意味において捕捉しがたい、しかも含蓄にみちているものと性格づけることができよう。 個々の作品において実際に生動し始める視覚的照応の戯れは、その夢幻的特質に大いに起因しているものだ。 この夢幻的特質は、全作品をアウラのように覆いつくしている美的雰囲気をさらにいっそう強めている。

別世界的影像を連続的に定着させ、歩調正しく進行させてゆく星野氏の高揚した手法は、憂愁という古色を作品に付け加えているが、それは決して重苦しいものではない。 それどころか、繊細微妙な技術をもって、色調の異なるさまざまな濃淡法を用いることにより、画家は、ほとんど並行する複数の宇宙のように、同一の画面内に同時に存在する複数の個人的領分へと観る者を招き入れる。 星野氏の世界は、浮遊する有機的、ないし自然物的事象の推移するディテールと、社会的現実の中では明らかに共存できるはずのない空間にみちている。 この点で画家は広い意味でのシュルレアリスムの影響を受けているといえよう。 そこにはジョアン・ミロのアメーバ的形象、マーク・トービィの繊細な表現主義風のカリグラフィー、ルネ・マグリットの空無化された公共領域と閉ざされた空間の、幻覚を誘発しそうな静寂、クリフォード・スティルの張りつめたぎざぎざの空間、などが含まれる。 マックス・エルンストの存在、とくにジャンプカットやモンタージュといった映画的要素を有効に用いたコラージュにおける彼の存在が、強烈に感じられる。 これらの要素が結合して、互いに対抗する複数の現実を反映した、矛盾を孕む不条理な水面下の世界を表象する。 エルンストの世界は、星野氏が探索を深めるにつれて、詩的でありながら同時に心の平安をかき乱す(同一空間に同時的に存在するように見える複数の世界)へと変換されている。

しかし星野氏は、ロマン主義と象徴主義の傾向がその作品のすみずみまで浸透していることの伺われる、最新のシュルレアリストの一人である。 氏の世界には、科学書に見出せるようなデザインや氏自身の制作した挿絵に由来する、走馬灯のような、錬金術的、あるいは幾何学的図解が含まれている。 これらは、さまざまな細部のうちにスーパーインポーズされて、明らかに心霊的あるいは生物的あるいは自然主義的世界を喚起することを目指している。

その結果、作品のすみずみまで浸透している同時性、活力、半透明性への暗示は、触知できるばかりに明らかとなる。 確かに星野氏の人気の秘密は、氏の本質にこのような錬金術師が存在していることにある。 錬金術師というこの奇跡を行う魔術師=創造者は、自動力を持たない自然の物質を変容させるあの創造的個人のこと。 氏はそれらの不活発な物質を、意識的な意志によって、氏独自のヴィジョンに従って再形成しているのだ。 まぜなら氏ひとりにのみ、あらゆる任意の可視的表層下に潜み隠れた神秘的合一の底流を見て取る透視力が備わっているからである。

およそあらゆる光彩と崇高性とに包まれた画家の仕事を推進させるものは、物質の上に君臨するその明らかに反物質主義的な精神(または無意識)と、認識の及ばない識域体験を万人が共有することへの信頼である。

ここで矛盾ということについて若干述べておく。 とくに注目を引くのは、不安とともに刑而上的崇高性の意識を自作から引き出す星野氏の能力である。 氏の作品にみられる薄明の光、しばしば不気味さを漂わせる、異なった尺度の並存、裂け目や、意識にまとわりつく反空間への予感(無意識への真の入り口)といったものが、氏の作品に、多義性にみちた、さらにいえば矛盾した効果を与えているのである。 このことは私の採点簿ではもっぱら有利なポイントだ。

最高の視覚芸術はしばしば矛盾対立を含んでいたり、空間的判じ物めいた性格を帯びていることが多い。 作品中の対照の度を強化する才能を持つことは、たしかに画家にとっては所有すべき大いに有利な条件である。 それは画家の表現形式上の創意工夫を格納した兵器廠の一部をなす。 この点で、星野氏は喚起と多義性の画家なのである。 氏の作品のなによりも見事な細部の多くは、対立する技法の超自然的な使用を起爆剤としているのである。

氏の画面構成には、迷路や螺旋、花弁といった聖なる図柄や、人体内部の空間的配置と自然界の地質的構成との双方に照合する積層的・円環的文様、といったものに対する、しばしば宇宙的な背景として用いられた無作為の記号やジェスチャーが含まれる。 これに加えて、画家は、幾条も連なる複雑な数列や天文学的勢揃いを暗示させる形象を背景布に投影させているが、それらは、ひとり意識だけがそこに棲むことを許されているかに見える空間を占拠して生起する、天上的事件を思わせる。

この画家の作品で、賞賛の念を引き起こさずにはいない真正な要素をもうひとつ強調しておきたい。 それは星野氏のリトグラフにおける光の効果の精妙に測定された使用であり、氏の個々の作品の中核に存在する謎に満ちた美への鍵となっている。

光は二つの別々の方法で探求されてる。 第一は、画面のさまざまな部分が部分ごとに断片として照射されるように光を異質的に用いる方法。 これは、知覚という行為の過程において、徐々にではあるが無情にも、失われた全体性として開示される世界の断片化を暗示する。 同様に、画家は同質的光の効果を自在に駆使する力を備えており、その効果によって、より大きな複数の空間を、あるひとつの統合目標点に向かって駆動力を与えられた宇宙的連動装置の大きな部分部分として連結しているように思われる。 同質的効果も異質的効果も異質的効果もともに各作品に適切に用いられている。

その結果、全体的な感じとして、左右相称的に、また左右非相称的につながりあう空間と時間を大掛かりに編み上げた織物を連想させる。 星野氏の制作物をその効果においてこのように生気論的、かつ劇的なものにしているのは、光の通有性こそがあらゆるレベルの経験を刺し貫くということの暗示に加えて、視覚言語を光として用いているからであり、そうすることによって達成される宇宙的認識が、前論理的思考の理解と連動することになるのである。

星野美智子氏の制作活動は、発想の情報源、思いがけない結びつきや効果の多様さゆえにわれわれを驚かす。 画家の哲学的思考は、空間と場における一時的、過渡的な特質に魅せれた精神から生まれてくる。 この画家の錯綜する形而上的紆余曲折は、氏の依拠する資料によってさらに強められ、氏が作品のさまざまな空間で提示する象徴的照応と、それぞれ異なった光による明暗の効果は、両々相俟って、氏の空間効果と、贅を凝らしたリッチな色調を際立たせている。

基本的にいって、星野氏のヴィジュアル作品は、ボルヘスの文学作品と同様に、ひとつの環境、精神の開放区、謎の領域を顕在化させる。 それぞれ単独に働いていたのでは、優れた芸術のための潜勢力を生み出すのに必用かる充分な状態ではない。 協働してこそそれらは高揚した意識の視覚的モデルを創り出すことができるのである。星野美智子氏はまさしくボルヘスの「円環の廃墟」の主人公のように、その視覚の探検を通して「この宇宙において関わりをもつに値する魂を探求」しているのだ。氏のリトグラフは、なにかある唯一無二のもの、なにかある完全で絶対的なものを表現しようとする試みとしての、芸術作品のあり方を確認するものである。 他方においてそれはまた、悪くすると人を困惑させ、うまくいっても謎を残す、きわめて複雑なもろもろの関係の織りなす体系の、欠くことのできない部分でもある。 これら両極間の揺動こそが、それ自身の内的必然性の意識、それ自身の輝く自己充足の意識によって引き出される(転身と変容の頌歌)に他ならぬ芸術作品を生み出すのである。

(美術評論家)

「MICHIKO HOSHINO LITHOGRAPHS」2001年10月4日~10月27日/アートフォーラム・ニューヨークでの個展カタログより。

翻訳・土岐恒二